🎥美学No.92《ヒューマン・ボイス》

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1930年に書かれたジャン・コクトーの戯曲『人間の声(La Voix humaine )』。登場するのは一人の女と電話。5年間付き合った末に数日前に別れを切り出された恋人からの電話。必死で平静を装いながら空元気を出して話す。突然電話は途中で混線。話が中断してしまったため、女の心は乱れ、再び彼から電話が掛かって来た時には、既に落ち着きは全くなくなり、溢れ出る感情のままに男への未練を洗いざらい語り始める。「安心してよ。自殺はしないから」と話しながら、電話のコードを首に巻き付け「愛している」と繰り返す。

この物語、昔、友人の女優とヴァイオリニストでトライしたことがあった。戯曲を読み込むミーティングで深く話していくうちに疑問が出た。男との別れ話で電話のコードを首に巻き付ける?そのぐらいのことで?そもそも電話のコードが今はない。携帯電話で演る?……などなど。主人公に共感できず、脚本を現代に書き直した方が良い?という話も出た。そのモヤモヤを全て解消させ、自由な新解釈でスタイリッシュな映画にしたのが、2020年公開、スペインの巨匠ペドロ・アルモドバル監督が脚本・監督した30分の短編映画『ヒューマン・ボイス』。

一人芝居を演じるのは、数々の映画賞を受賞しているイギリスの女優ティルダ・スウィントン。長身でクールな風貌と知的な演技は、超然とした存在感がある。バレンシアガ、ドリス・ヴァン・ノッテンの最先端ファッションを自分のものとして着こなすセンスに、カッコ良さのため息が出る。脚本と俳優、美術、衣装……その全てを包む監督独特の色彩美。センスが行き届いていることに刺激を受けて止まない。長いコードの電話は最新のスマートフォンとワイヤレスイヤホン。彼女はコードに縛られることなく、部屋を自由に歩き回り、塞がれていない両手は自由。「臆病者!!」最後に彼に投げつける言葉は現代の美学を持って生きる女そのもの。

ジャン・コクトーの『声』には縁がある。20代の終わり、ファッションブランドを立ち上げたときに、知り合いのギャラリストに勧められて初めて本物の「絵」を買った。これが、ベルナール・ビュッフェの銅版画。ジャン・コクトーの『声』のための挿画で、22点からなる連作として1957年に限定150部制作されたもの。ビュッフェらしい硬質なタッチの書体で原文が描かれた、版画表現と文学が融合した傑作とされている作品。未来に何が待っているかも知らずに買い求めた1枚は、まだまだ私の美学を繋いでいるようだ。

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