🎥美学No.86《ルー・ザロメ》

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ルー・ザロメは1861年、ロシアのサンクトペテルブルクで生まれ、スイスのチューリッヒ大学で宗教学、哲学、芸術史を学んだ著述家。だが、最も大きい彼女の功績は別にある。「ルーがある男と情熱的に接すると、9ヶ月後にその男は一冊の本を生んだ」世紀末ヨーロッパに影響を与えた「偉大なる知性が愛した女」であったのだ。

背が高くすらりとして、輝く青い目を持ち、シルヴァー・ブロンドの髪に意志の強そうな口元。「ルーが部屋に入ると太陽が昇る」彼女に会った、哲学者・科学者・心理学者・作家・医者等々、知性を武器に生きる全ての男達は彼女に魅了された。

信じがたいほどの頭脳明晰さ、人生の歓びと哀しみに対して慎ましく勇敢、つまらない美徳に対する軽蔑、小市民的道徳に対する無関心、真理を愛す心を持ち不道徳であってしかも敬虔、男性の真剣さと子供の快活さと女性の熱情の魅力的な混在、女性が所有する武器を放棄し男性が人生の闘争に用いる武器を使う、口にする言葉は全て明白で正確だが理屈屋ではない、男性の世界観を持つ純粋に女性的な人……彼女を表す言葉は尽きない。

21歳の時に哲学者パウル・レーと出会い、彼の紹介で大哲学者フリードリッヒ・ニーチェと出逢う。二人から求婚されるも拒絶し、肉体関係の無い「三位一体」での同棲。写真はニーチェが撮ろうと誘った。鞭を持つルーは、二人の男を走らせる馭者。「三位一体」は長くは続かず、ニーチェは失恋による傷心でイタリアに逃れ、わずか10日間で、『ツァラトゥストラはかく語りき 第1部』を書き上げる。

求婚する男達はあとを絶たなかった。その中の一人、15歳年長のイラン学者が「結婚を受け入れてくれないなら」と自殺騒ぎを起こし、ついに彼との結婚を承諾するも、肉体関係は拒否。「感情生活にいかなる干渉も加えない」条件で婚姻のみを継続。

36歳の時に、22歳の詩人リルケとミュンヘンで出逢う。リルケは愛の技巧にたけた情熱的な青年で、ルーへの想いを詩に託して届けた。この頃、ついにルーは肉体を解放。だが、「あなたは去らなければならない」と彼に言い渡す。3年間の愛の詩はリルケを偉大な詩人にした。

「精神分析を学びたい」と熱望する50歳の女性を、5歳年上でしかない心理学者フロイトは一笑に付した。結論に到達するまでに半生を要した学問をおいそれとは学べない。しかし、ルーと会い、彼女の知性の明晰さ、観察の深さに驚き、一瞬にして「自分を全て理解している」とフロイトは感嘆した。

1977年制作、85年日本公開、ドミニク・サンダ主演の映画『ルー・サロメ 善悪の彼岸』(※最近の表記はザロメ)を観て彼女を知った。その中で、ニーチェとレーの前で、花が活けてある美しい壺を手にとってまたがり、平然と排泄してみせるシーンがある。「あなた達が見たいものなんていつでも見せてあげるわ」と言っているように。《ここに我あり。他になす術を知らず》ルー・ザロメは憧れの人だった。

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