👗美学No.59《ファッション雑誌》

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1970年平凡出版から《anan》、翌年《nonno》が創刊。以降、ファッション雑誌は流行ツールのなくてはならないアイテムになる。1982年《オリーブ》創刊、翌年に平凡出版はマガジンハウスと社名変更。当時ファッションメーカーに勤めていて記念の革製ブックカバーをもらった。今でも文庫本を読むときの相棒だ。

メーカーに勤めながら《delica》という手芸雑誌でファッショングッズを創って掲載するという連載ページの仕事もしていた。毎号のテーマで数人のデザイナーと作品を競作する。担当編集者と初めて会った時にビックリ。向き合って早々、「私、あなたを知ってるんです。」と。えっ?私は初対面。「新代田に住んでらっしゃるでしょ?私、毎朝アパートの2階で歯磨きをしているとき、あなたが走って駅に行く姿を見てるんです。」と。えーーッ!?でも、なぜ私だと確信を持ってたの?と思ったら、種明かしがあった。紹介してくれたイラストレーターの友人も近くに住んでいて、この話があったとき「近所にファッションメーカーに勤めている友達がいるから、ぜひこの仕事を紹介したい。」と、私が常日頃、どんなファッションをしているかを説明してくれたらしい。そうしたら、「あ!その人知ってる!間違いないと思う!!」と、編集者。きっと、ドアを開けて私が入って来た時、やっぱり!と、こっそり手を打ったに違いない。全く、人はいつ何処で見られているかは分からない。ファッションはその人を物語る……だ。その頃の私は好き勝手なチープシックスタイル。安く揃えるお洒落なコーディネートという企画で、ananに取材されたこともあった……と、古ーーい記憶の中から、思い出した。

独立して自分のブランドを設立し、取材・タイアップ・広告と、沢山のファッション雑誌にお世話になった。今振り替えると、私のファッション仕事時代は、雑誌の創刊ラッシュであり、競争も熾烈だった。だからこそ何が新しい発信になるのか、編集者とも頭を捻ったものだ。

以降、数々の歴史ある雑誌が休刊。近年では美容室もタブレット版電子書籍の導入が増え、紙媒体での情報雑誌は居場所を失った。私のファッションを見て、どんな雑誌を目の前に置いてくれるか……美容師のセンスを見極める秘かな楽しみもなくなった。写真を切り抜いてスクラップすることは、好きなものを選び取り、オリジナルを創る楽しみでもあった。本棚に並ぶ表紙の色褪せたファッション雑誌は、「我が物」となった私のアルバムなのである。

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