🎼美学No.23《ジャニス・ジョプリン》

By waltzblog 2 comments

「私を《パール》と呼んで」ジャニス・ジョプリンは言った。そして、その愛称は彼女の遺作アルバムのタイトルになった。1970年10月4日は、残っていた1曲のボーカル録音を収録するはずだった。だが、ハリウッドのランドマーク・モーター・ホテル105号室 で、ジャニスは息絶えていた。かたわらには、封の切られていないマールボロ1箱と釣り銭4ドル50セント。ヘロインのオーヴァードーズ。歌い手のいない未完の曲は、インストゥルメンタルとしてアルバムに収録された。彼女の死が予告されていたようなタイトル『Buried Alive In The Blues』……生きながらブルースに葬られ。

遺作『PEARL』の1曲目『Move Over』。邦題を『ジャニスの祈り 』とされた自身の作詞・作曲。「私をほっておいて!自由にさせて!!」稲妻が走った。学生生活しか知らない、規則で縛られる15歳には、真実の叫び、自由の象徴が矢となって空から振って来たようだった。部屋を真っ暗にしてヘッドフォンをつけ、耳に届く声に没頭した。1967年のデビューアルバムからわずか3年でこの世から消えてしまったジャニス。リリースしたアルバムはわずか3枚。

没後に発表されたアルバム『GREATEST HITS』は、シンガーとして生きた3年間の集大成。ジョージ・ガーシュイン作曲のスタンダード『Summer Time』が、ジャニスのアレンジで、吐息さえも魂のブルース!!死に急いだジャニスを取り戻すかのように、毎日毎日、彼女の声だけを求めた。

「キャンパス中で一番醜い奴と言われて、皆の笑い者だった。」と語っていたジャニス。亡くなる半年前に、高校の同窓会に顔を出した。デビューして一躍スターとなった彼女を、もう笑う者はいない。だが、カメラに収められたのは、疎外感の中にいる孤独の表情だった。「私を愛して!!」哀しみと憂鬱を叫ぶ、全身全霊のブルース・ロック。歌っているときだけが真実のジャニスだった。

前年にブライアン・ジョーンズ、同じ年にジミー・ヘンドリックス、翌年ジム・モリソン。全員27歳での死。27歳で音楽界を変えることのできた天才ロッカー達は、1969年から1971年の2年間で、役目を終えたかのように次々と天に召された。早過ぎる死。だが、彼らは強い光を放ち、刹那を生きた。十代の鬱屈を二十代で解き放ち、体制となりうる三十代を迎えることは、使命を与えた神様が許さなかったのかもしれない。

 

 

 

2 Comments

うさこ

7月 7, 2021, 7:42 pm 返信

久々コメント失礼致します。

ジャニス・ジョプリン、宮本さんのブログで初めて知りました。是非聴いてみたいです!
『吐息までブルース』…なんてっ♪
ひ、引き込まれたいー!!!

ふと浮かんだのが、やはり突然の死でこの世を去った尾崎豊…
カリスマって長生き許されないのかしらっっ

ジャニス・ジョプリンも尾崎豊も生きていたら一体どんなお婆ちゃん、お爺ちゃんだったんだろうかっ⁈

なーんて想像する時間を楽しんじゃう笑

あ!! (*゚∀゚*)
さすが天才達、未来へも夢を残している!!

後ほどApple music探します♪

waltzblog

7月 7, 2021, 11:06 pm 返信

私の世代、「ジャニスが好き」は、信頼出来るヤツ!!のパスワードでした😀