🎼美学No.112《ジャクリーヌ・デュプレ》
もうすぐ5歳になる少女は、ラジオから流れてきたチェロの音に恋をした。イギリス・オックスフォードで1945年に誕生したジャクリーヌ・デュプレは、生まれながらに自分の「音」を持っていた。ピアニストの母親から姉ヒラリーと共に音楽の素養を受け継ぎ、姉はフルート、ジャクリーヌはチェロの道に進む。5歳でロンドン・チェロ・スクール、そしてギルドホール音楽学校と進み、10歳のときには国際的なコンクールに入賞、12歳でBBC主催のコンサートで演奏を行った。
才能あるがゆえに、孤立した子供時代を送る。チェロを弾くと自分の主張を表現でき、絶対的な力を発揮する。離れると不安と孤独に陥る……その繰り返し。が、ジャクリーヌの周りには笑いが絶えず、『スマイリー』とさえ呼ばれていた。内気な少女であると共に、絶対的自信もある。その二面性がジャクリーヌ・デュプレを形成する。
「チェロを弾くことは、私にとって世界で一番自然なこと……」正式なデビューは1961年、エルガーのチェロ協奏曲を録音し、16歳にして早くもチェロ演奏家として国際的な名声を得る。ジャクリーヌはエルガーを弾くのが好きだった。この曲が要求する音の深さや広さを愛していた。
21歳でピアノニストで指揮者でもあるダニエル・バレンボイムと結婚。ユダヤ系移民の両親のもとに生まれ、彼も7歳でピアニストとしてデビュー。ジャクリーヌはユダヤ教に改宗して結婚式をあげた。天才二人の結婚は、各国へのコンサートで多忙を極めたが、チェロを担いで世界を巡る生活は不安な根無草のようでもあった。それを癒してくれたのは、いつも姉ヒラリーだった。
デュプレ家は、全てジャクリーヌを中心にまわっていた。共に音楽の道へ進んだ姉の自信喪失、ジャッキーの依存。心中穏やかではないにせよ、姉は妹を心から愛し、音楽の天才である気質を理解していた。音楽を諦め、結婚し子供が生まれ、田舎で暮らす姉のもとに、ジャッキーは疲れたらやって来て家族団欒を楽しんだ。そして……姉、その夫、妹……暗黙の了解の三角関係は姉妹に何をもたらしたのか。
26歳のときに、指先の感覚が鈍くなってきたことに気がつく。この症状は徐々に悪化、2年後には満足のいく演奏ができなくなった。多発性硬化症と診断され、チェリストとして事実上の引退。1987年、チェロに愛されたジャクリーヌ・デュプレは、わずか42歳で黄泉の国へ旅立った。
「演奏していると、自分が自分の殻から抜け出て、夢の中のような次元に入り込むの。そこで私は一人ぽっち。でも幸せなの。」