📖美学No.109《狂わされた娘時代》

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ビアンカ・ランブラン 著

「人は女に生まれない。女になるのだ」この書き出しで知られる『第二の性』の著者シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、女性解放思想の草分けである作家。ノーベル賞を辞退したことでも知られる哲学者ジャン=ポール・サルトルと終生の伴侶として生きた。彼女の死から4年後の1990年、フランスで刊行された『サルトルへの手紙』『ボーヴォワール戦中日記』は、教え子との同性愛が辛辣な表現で書かれ、研究者達を驚かせた。それは、有名な自伝的回想録『娘時代』『女ざかり』に隠された、別の顔だった。

「彼女の肉体、肌、特に体臭がムカつく。甘ったるい顔が我慢ならない。」こう書かれたのが、この本の著者ビアンカ・ランブラン。1921年にポーランドでユダヤ人の両親のもとに生まれ、翌年一家でパリに移住。ビアンカ16歳の1937年、哲学教師として赴任してきた29歳のボーヴォワールと出逢い、彼女の紹介でサルトルとも関係が深まる。

「婚姻も子供を持つこともなく、嘘をつくことも隠し立てをすることもなく、互いの性的自由を認めつつ終生の伴侶となる」21歳のボーヴォワールにサルトルから出された提案は、第三者を立ててサルトルの新しい恋愛関係を支配し、彼との新たな関係を築くことを実行させる。「僕達のあいだの愛は必然的なもの。でも偶然の愛を知ってもいい」サルトルの言葉によって、多数の男女が彼らの人生に絡み合う。

『トリオ』と呼ばれた関係は2回目であった。ビアンカと出逢う2年前、ボーヴォワールが自宅に住まわせていた教え子のオルガ・コザキエヴィッツとも。が、サルトルはオルガの妹ワンダにも好意を寄せ、結婚を仄めかす。片やボーヴォワールは、サルトルの元生徒ジャック=ローラン・ボストと恋仲になるも、ビアンカとも親交を深める。そして第3の『トリオ』となるべく、ボーヴォワールの教え子、ナタリー・ソロキーヌが登場する。1941年、ナタリーの母は「未成年者をそそのかし、不品行を行わせた」とボーヴォワールを告訴。翌年、大学区総長が、パリ大学区からのボーヴォワールとサルトルの除名を要求した。

1940年、サルトルとボーヴォワールはビアンカと決別。その年、ドイツ軍がフランスに侵攻し、ユダヤ人への虐待が開始される。この時期の決別は、ユダヤ人であるビアンカにとって裏切られたも同じだった。戦後、ボーヴォワールとは友情が復活、彼女が亡くなるまで定期的に会っていた。そして没後、ボーヴォワールの本音が書かれた手紙や日記に「鬱陶しい」と書かれている自分を見る。

ボーヴォワールは最初の『トリオ』の関係から、自由な関係や嫉妬という感情について考察を深め、1943年に処女作『招かれた女』を書く。以降男女を問わず、彼女の愛人達は皆作品に登場する。作家ならば自身の人生を下敷きにするのは当然である。が、それに巻き込まれた人間は抗えない。相手は世界に名の通った知識人であり、モラルを問うことは難しい。この本は、ペンは人の人生を狂わす暴力にもなるという告発書であり、女性解放の功績を残した作家を違う角度から考察する書でもある。

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