📖美学No.85《朝はだんだん見えてくる》

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著作:岩瀬成子

1977年に理論社から発行し、日本児童文学者協会新人賞を受賞。米軍基地のある街で暮らす中学3年の奈々。冒頭、奈々は知り合ったばかりの少年のオートバイにしがみつき、街を走る。爆音、振動、飛び去る景色……視界にあるのは空だけ。絵を描く。ロックを聴く。基地反対デモに参加する。反戦喫茶に通う。そこで出逢う人と風景。

奈々は映画館で『ジョニーは戦場に行った』を観ている。館内で観ている基地の米兵。誰よりも戦争を知っている彼らの苦しみに触れるようで、奈々はピリピリしている。が、映画が終わると米兵は何事もなかったように陽気におしゃべりをしながら席を立ってゆく。「なぜ?」と訝しむ奈々。

私は中学・高校時代、広島にいた。しかも、本書の舞台となる岩国寄り。なので、描かれている風景は容易に浮かぶ。当時はベトナム戦争真っ只中で、その戦争に加担している米軍の基地が近くにあることは、なんだかモヤモヤとした感じだった。アーミールックはカッコいい!米兵士と友達になって英語も覚えたい……でもなぁ……という気風が、一部の中・高校生にもあった。ベトナム戦争は反対。なのに、戦争に加担している人達と友達になるのか?!なれるのか?!なっていいのか?!これは、本当は大人が考えなくてはならないことだった。

理論社は《敗戦後の1947年、焦土と化した日本に「豊かな種子をまこう」との思いで誕生》とある出版社。この本の出逢いから、理論社の本を立て続けに読んだ。「太陽の子」「兎の眼」「ぼんぼん」「マキコは泣いた」等々、灰谷健次郎や今江祥智ら、児童文学作家の存在も初めて知った。20代初め、この本が大好きで、会う人ごとに勧めていた。なぜだったんだろうと今読み返すと、中学3年の私は主人公と似ていたんだなと思う。だから「こんな女の子を知って=私を分かって」という思いがあったのかもしれない。

あとがきで、当時27歳の作者は言う。「書いているときにはいつも「序曲」が聞こえていた。書き終えたら、また別の「序曲」がまとわりつく。」そう、幾つになっても「序曲」は聞こえ続けるのだろう。児童文学は、子供のためにだけではない。「忘れてはいけない心」を書いているのが、児童文学だと私は思っている。今、この本に書かれてある答えを知っている年齢になった。「あきらめないで生きなさい。そして、見続けなさい。」孫娘のような奈々に声をかけたい。

《まっ暗な海だって、朝はだんだん見えてくる》

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