📖美学No.82《おそめ 伝説の銀座マダム》
著作:石井妙子
「月見草のような女」「平安絵巻から抜け出した巫女」「もの哀しげな博多人形」……「おそめ」は通り名で、本名は上羽秀。大正12年に京都で生まれ、幼少の頃より舞妓になりたいと口にしていた。その言葉通り、尋常小学校を卒業すると、舞妓修行のため東京新橋の花柳界へ。15歳で京都に戻り、「そめ」という名の祇園の芸妓になる。座敷を掛け持ちしても間に合わず、ついには客達が宴席を一緒に持つ「おそめを見る会」を作った。
抜けるように白い肌、豊かな黒髪、楚々とした瓜実顔、歩くと誰もが振り返るおそめは、たちまち売れっ子になる。他の芸妓が嫌がる難しい客にも、動じず、控えめに微笑み、お酌をし、ただじっと朝まででも膝を崩すことなく付き合う。お酒が好きで強い。まさに芸妓は天職だった。
19歳で金銭・生活面での面倒をみる「旦那」を持つ。惜しみない寵愛を受け、芸妓は落籍され「秀」に戻る。旦那の用意した家に住み、贅沢三昧、優雅な日々を過ごす。が、秀はつまらない。芸妓の日々が忘れられない。そんな中、出かけたダンスホールで運命の男・俊藤浩滋と出逢い、妊娠。旦那に許しを乞い、晴れて共に暮らすも俊藤は定職にはつかない。秀は出産後、カフェーの女給として働く。生来の接客好きと酒好き。すぐに店一番の稼ぎ頭となる。半年後、自宅を改造して小さな会員制のバー「おそめ」を京都木屋町に開く。著名な財界人、文化人達がこぞって足を運んだ。7年後、東京銀座にも出店。連日、客が押し寄せ大盛況。秀は、飛行機で京都と東京を往復する「空飛ぶマダム」としてメディアに取り上げられ、一躍有名人になる。当時、銀座には有名なバー「エスポワール」があった。秀とは対照的な美人ママ・川辺るみ子。作家の川口松太郎は二人をモデルにして短篇小説『夜の蝶』を書き、映画化もされ、話題を呼ぶ。
その間、驚くべき事実が分かる。夫だと思っていた俊藤には、二度の結婚で4人の子供がいた。しかも、秀との籍は入れておらず娘も認知していなかった。だが、秀は別れない。収入のない俊藤に代わって、彼の妻と子供達の面倒もみる。バーの閉店と共に東映任侠映画の大プロデューサーとなった俊藤が77歳、秀が71歳の時に入籍し、夫婦となった。
化粧もほとんどせず、宝飾品にも興味がない。御用聞きにも、買い物をしても、どんどんチップを弾む。地味な着物を好み、いつも引っ詰め髪。男がほっておかない女は、惚れた男一人に尽くしぬく。筋を通した女の一生は89歳で幕を閉じる。