🎼美学No.46《フィービ・スノウ》
フィービ・スノウは、アメリカの女性歌手&ギタリスト。黒人とユダヤ人の血をひくハーフで、1974年にデビューアルバム『Phoebe Snow』(邦題サンフランシスコ・ベイ・ブルース)を発表。グラミー賞の最優秀新人賞にノミネートされ、自身の作品『Poetry Man』も大ヒットし、有名歌手・作曲家の仲間入りを果たした。
4オクターブ以上の音域を持ち、独特の唄いまわし、個性的なヴィブラート、なめらかな高音のファルセット、今までに聴いたことのない歌声だった。デビューアルバムの邦題サブタイトルは《ブルースの妖精》……確かに、それまでの絞り出すようなブルースの歌声とは違う。彼女の声とギターの音色は、澄んでいて、何だか懐かしく、居心地がよく、立て続けにアルバムを買った。3枚目のアルバム『IT LOOKS LIKE SNOW(雪模様)』のジャケット裏面には、彼女と赤ちゃんの写真。その下に小さく「夫とヴァレリーと友人に捧ぐ」と書いてあり、微笑ましいと思って見ていた。
彼女の結婚生活は短かった。そして、娘のヴァレリーは、生まれながらに重い脳障害があった。施設に入れることを拒み、自宅での養育を選んだフィービ・スノウの順風満帆だった音楽キャリアは変更を余儀なくされる。育児の負担によって音楽活動に打ち込めず、結果、80年代はレコーディングから遠ざかり、病気の娘の養育費と生活のためにCMソングを歌うだけになった。だが、音楽業界やファンは彼女を忘れなかった。ビリー・ジョエル、ドナルド・フェイゲンなどがレコーディングやコンサート・ツアーに彼女を招いたり、1999年にはキャンプ・デービットでクリントン大統領夫妻の前でも歌った。
2007年、娘ヴァレリーが31歳で亡くなる。役目を果たしたかのように、その3年後、脳溢血で倒れたフィービは翌年60歳で亡くなった。31年間、障害のある娘を自力で育て、音楽と共に生きた人生。だが、それを知ったのは最近のこと。80年代に入り、私の人生も忙しく、彼女のアルバムから離れてしまった。ネットで検索出来る今とは違い、世の中に出ていなければ情報はない。あのジャケット写真は大きな意味をもっていたんだなと、今思う。「ヴァレリーと私はベストフレンドだった」と語る、彼女が歩いた道。それを知って今また、その歌声を聴くと、懐かしく温かい気持ちになった由縁が、分かるような気がした。
人生に与えられた道……困難が多くとも、誰かのために生きる幸せは、命を更に輝かせてくれる。
うさこ
11月 11, 2021, 4:57 pm久々コメント失礼致します。
早速フィービースノウを聴いてみました。
以前ブログに書かれていた ジャニスジョップリンのパワフルな世界とはまた違った澄んだ空気感に心をすーっと取り戻す。。。
娘さんと過ごした日々は宝物だったでしょうね。ベストフレンド、母娘は戦友で親友でストレスぶつけ合う喧嘩友達で(笑)…
もう少し聴いています♪