🎥美学No.45《グリニッチビレッジの青春》

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1953年のグリニッチ・ビレッジ、俳優志望の青年ラリーと仲間達の物語。ラリーの彼女サラ、詩人のロバート、ゲイの黒人バーンスタイン、しっかり者のコニー、自殺未遂を繰り返すアニタ。彼らと過ごした日々を置いて、ラリーはオーディションに合格し、ハリウッドへ旅立つ。

グリニッチ・ビレッジに集まる未来を夢見る若者達……私にもそんな時代があった。中央線の三鷹に学友二人が住んでいて、私もそこに引っ越した。すると、あれよあれよと学友達が引っ越して来た。「加藤和彦がラジオで、三鷹がセツ・モードセミナー生のたまり場になっている、と話してたよ!」と、学校で聞いた。いつ?誰が??そんな情報を敬愛する音楽家・加藤和彦様に?!

当時、人と連絡をとれるのは電話か手紙。でも、電話をかけて「今から行っていい?」と、わざわざ了解をとる友人はいなかった。予告無しに訪ねて来る。自分のたてたその日の予定はすぐ変更となり、予期しない時間を作る。そうやって、人に邪魔をされる時間も大切だったな、と、今思う。

学友の友達、バイト先の同僚……と、車座になる輪は広がり、会えば「やぁ」という間柄になる。会社や肩書きのない年頃。名刺一枚でその人を値踏みすることもない。どんなに貧乏、ぐうたらでも、いつか凄いアーティストに変身する可能性だってある。どこに在籍しているかなんて関係ない。ただ、共に時間を過ごすことだけの信頼。誰かが調子が悪そうだと聞くと、皆でぞろぞろ行ってドアをノックする。寝ぼけた友人がドアを開けると、またそこで持参の差し入れで酒盛り。三鷹の青春は、地方出身者の孤独に家族のような安心をもたらしていた。

集まる仲間の一人、彼は中学を卒業して寿司屋に住み込みで働いていた。仕事が終わってからの参加なので、車座は宴もたけなわ。来ると座りもせず、すぐ台所に立ち、朝自ら河岸で仕入れた新鮮な魚をおろして、すっと出す。隅に座り、誰かのお酒が空になると、すかさず満たす。酔っぱらった私の視線の端にいつも映っていた社会人数年目の彼……きっと、素敵な寿司職人になったことだろう。

卒業間近のある日、「○○って知ってる?最近来ないなと思ったら、あいつ授業料も払っていないモグリだったんだってさ!やんなっちゃうねぇ。ハッハッハ!」と、私の肩を叩きながら大笑いしていたセツ校長。人との関係におおらかな、自由な時代。

映画のラストで母は息子に言う。「もし、クラーク・ゲーブルに会ったら、母が大ファンだと伝えて。」青春……未来は、限りなく未知数。

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