🎼美学No.35《ピアノ》
3歳の時、我が家にオルガンが来た。狭いアパートに運ばれて来た日のことをよく覚えている。それがすぐに無くなったのは「ピアノをやらせたいなら、初めからピアノを弾かないとタッチが悪くなる。」と、母が先生に言われたからである。ピアノが習いたかった母は、その夢を娘に託した。最初のピアノの先生は厳しかった。私の小さな手の甲に10円硬貨を置き、ピアノを弾いて硬貨が落ちると、物差しでピシャっと叩かれた。
毎日のピアノ練習は、やらなくてはならないルーティンワークのような感じで、楽しく弾けた思い出は……ない。小学校の卒業文集には「ピアノで音楽の仕事をしたい」と何となく書いた。中学生になって、自らの思考が完全にフル回転の時期になると、ピアノはやめてもいいかなと思えてきた。「音楽の高校に進む?でも、手が小さいからピアニストは無理。音楽の先生にはなれる。」ピアノの先生に言われ、はたと我が中学の音楽教師が浮かんだ。不真面目な男子にからかわれながらも、ピアノを弾いて「さぁ、みんな一緒に!」と合唱を指導していた女の先生。私じゃないな……残念ながら、その仕事は魅力的には映らなかった。先生について練習した最後は、偶然にもショパンの「別れの曲」。私は呪縛から解放され、誰も弾かないピアノは応接間の飾りになった。
セツ・モードセミナーの卒業式、「蛍の光」だったか「仰げば尊し」だったか、私がピアノを弾いて皆と歌った。それが、人前でピアノを弾いた最後となった。
『ワルツ』初演のとき音楽監督はまだ不在。なので、好きな曲を一番ピッタリくる心情で聴いてみたいということで選曲。グノー、カッチーニの「アヴェ・マリア」ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」「私を泣かせて下さい」等々。ピアノで弾いたことのある曲を選んでいた。クラシック音楽との再会は、懐かしい故郷に帰ったようだった。
NHKのTVで『駅・空港・街角ピアノ』という番組がある。文字通り、街角に置いてあるピアノを通りがかった人が自由に弾いているのを撮影したもの。海外版は、ミスタッチがあっても、皆思い入れたっぷりに弾いている人が多い。あぁ、そんな楽しみ方もあったんだなと思う。反対に日本版は、音が四角い。きっちり、上手に「どう?」という感じで弾いている。国民性が現れている。聴かせるより、自分で楽しむピアノ……それだったら、今からでも遅くはないかなと思ってみたり。三つ子の魂百まで……私の指は覚えているかな。