🎼美学No.99《ジミー・クリフ》

By waltzblog No comments

カリブ海の小さな島ジャマイカで生まれたレゲエ・ミュージック。1970年代、そのリズムは世界に大きな衝撃を与えた。

1962年、ジャマイカがイギリス統治から独立した年にデビューしたのが、レゲエ界の生ける伝説ジミー・クリフ。“レゲエの神様”として広く知られるボブ・マーリーよりも先にデビューを果たし、72年にジャマイカ初の長編映画『ハーダー・ゼイ・カム』で主人公を演じた。映画・タイトル曲の大ヒットで一躍その名を世界に轟かせる。そのサントラにも収録されたのが、10代でイギリスに渡り、自分の居場所や存在価値を見つけられなかった彼が21歳の時に作った曲『Many Rivers To Cross 遙かなる河』。荘厳なオルガンのイントロ、そして、伸びのある力強い歌声が訴える。「越えなけらばならない河が沢山ある だけど俺は向こう岸に辿り着く道が見つかりそうにない 俺は道を失ってしまったんだろうか」

1978年3月6日、中野サンプラザ。ジミー・クリフの日本公演に男友達二人と行った。日々レコードをかけ、すっかり歌えるまでに聴き込んだ曲の数々で大興奮。下北沢の居酒屋で語り、飲んだ。二人のうち一人はその日が初対面。友人の高校の同級生でアルバイトをしながらロックバンドでベースをやっていた。彼ともウマが合い、たまに電話で近況報告したり、「ライブやるよ!」と聞けば、聴きに行った。

当時、私のアパートには同じ職場で仲良くなった居候の女の子がいた。彼氏の話はよく聞かされ、「ぜひ紹介したい」となり、下北沢のJAZZ喫茶「マサコ」で会うことになった。私と彼女がコーヒーを飲んでいる所へ「あ、尚ちゃん!」と、バンドマンの彼。偶然、彼も「マサコ」へ……と思っていたら、彼女が「えっ?!ナオト、尚ちゃんを知ってるの?!?!」「えっ?!?!」「えっ?!?!」3人全員ビックリまなこ!!なんと、友人の彼氏は、ジミー・クリフのコンサートに行った彼だったのだ!それを知らずに約1年、彼女から彼の話を、彼から彼女の話を聞いていたのだ。「こんなことってあるーー?!」驚きの奇縁に3人で大笑い!

しばらくして居候は独立し、たまに奇縁3人組で会った。そして、ある夜、電話が鳴る。「ナオトが死んだ……バイトのビルの窓拭きで……落ちて……」驚きで言葉にならなかった。最後に彼に会った時、「デビューが決まった。でもメンバーの一人をチェンジしろと言われて……」と悩んでいた。

「越えなければならない河がたくさんある」 彼は、河を渡る前に空に昇ってしまった。

コメントを残す