🎼美学No.79《エディット ・ピアフ》
『バラ色の人生』『愛の讃歌』……歌い継がれる名曲。偉大な歌手は沢山いるが、その中でも特にドラマティックな人生を生きたピアフ。軽業師の父と路上の歌手を母に、1915年パリの下町で生まれる。両親は貧しく、母方の祖母や、売春宿を営んでいた父方の祖母に預けられた。街角で歌っているときにスカウトされ、天下の歌手エディット・ピアフが誕生。身長147cm、黒のシンプルなワンピースとクロスのペンダントが彼女のスタイルだった。
ピアフが16歳で産んだ女の子は2年後にこの世を去る。そして妻子あるプロボクサー、マルセル・セルダンとの大恋愛。「どうして悲しい歌ばかり歌うの?」と彼は聞き、「どうして殴るの?」と彼女は聞く。全く違う世界に住む二人は一目で恋に落ちた。しかし、彼女の元へ駆け付ける飛行機でセルダンは事故死。その悲報は、親友であったマレーネ・ディートリッヒが伝えた。翌年『愛の讃歌』が発売。妻子あるセルダンとの終止符を打つつもりで書いた歌詞は、奇しくも愛する人への弔いの歌となった。
《いつか運命が私からあなたを奪っても もしあなたが死んでも かまわない 私達は永遠》
セルダンの死後、予定されていた公演でディートリッヒは友に「辛すぎるからこの歌を歌わないで」と頼むが、ピアフは歌う。歌に人生を惹きつけてしまう歌手、それがピアフだ。悲しさ、寂しさ、切なさ、辛さ、そして、愛と勇気……ドラマティックな人生は、いつも彼女に当たり前にあったのだ。
セルダンの事故死から2年後、自身も自動車事故に遭う。以降、アルコール依存とドラッグ、取り巻き達との交遊費で多額な借金。愛する人や幸せは去っていく……ピアフはすでに老婆のように見えた。が、1960年発売の『水に流して 』で、覚悟を示す。
《私は何も後悔していない 良いことも 悪いことも 私にとっては同じこと》
そして亡くなる前年、ピアフの大ファンであった20歳年下のテオ・サラポは、癌で余命いくばくもない彼女に結婚を申し込む。47年の人生、最後に手に入れたのは、愛する人に向けた幸せな笑顔だった。
私がピアフを一番聴いていたのは、ファッションの仕事をしていた頃。側から見れば、華やかで羨ましがられる世界。好きなことを仕事にして、日々、人に囲まれているけれど……孤独。そんな時、ピアフの歌声は、私を前に向かせた。孤独を勇気に変えた歌手エディット・ピアフ。
《過去の思い出をくべて 火を起こす 私はゼロから再出発する 》