🎼美学No.66《忌野清志郎》
初めて彼の歌声を聴いたのはラジオから……『ぼくの好きな先生』。高校生になったばかりの私は、私の未来を占った中学時代の美術の先生を思い浮かべていた。そして『スローバラード』。こんな詩を歌う清志郎が愛しかった。好きな男の子が学校のグランドを走る姿や、雪の日のさよならを思い出し、甘酸っぱい感傷に浸るのにピッタリな時期に出逢った。シャイな男の子がギターを弾いて歌ってる……私の中の清志郎はそんなイメージだった。
出版社に勤めた。給湯室でコーヒーを淹れていると、いつも優しい先輩女性と一緒になった。「音楽、何が好きなの?」と彼女。「RCサクセション忌野清志郎」と私。「えっ!?私も大好きで、ずっと応援してるの!今彼らは、国立で合宿生活。新しいイメージを作ろうとお化粧したり、髪を立てたり、安いアクセサリーじゃらじゃらつけたり、色々考えているところなのよ。」と。どうやら、話しぶりからは相当に親しそうな様子。清志郎は、こんな人を好きになるんだろうな……と、思った記憶がある。しばらくして、本当にキッチュでサイケな「キヨシロー」が登場した。
1988年「素晴しすぎて発売出来ません」と不思議な広告が出て発売中止となった『COVERS』は、彼が好きな洋楽を独自の訳詞で歌ったアルバム。『ラブミーテンダー』『サマータイム・ブルース』の核廃止、原発反対の歌詞が発禁の原因。1990年のライブで「21世紀になったのに世界は平和じゃない」と話し、歌う『イマジン』。「社会主義も 資本主義も 偉い人も 貧しい人も みんなが同じならば 簡単なことさ 夢かもしれない でも その夢を見ているのは 一人だけじゃない 世界中にいるのさ」彼のストレートな日本語は、メロディーにのって今も私に刺さる。
1995年11月、たまたま歩いていた渋谷でタワーレコードの前に人垣。近くに行くと、何と!キヨシローのゲリラライブ!!その年の私には全くいい事がなかった。ファッションというビジネスにもほとほと疲れていた。そんな私を呼んでくれ「今のアンタはカッコ悪いぜ!シャウトして生きろよ!!」そう言われているような気がした。
音楽は、どんな昔の写真を見るよりも、自分自身をメロディーと共にトリップさせる不思議な魔法だ。いつか、もっとお婆さんになって私の記憶が危うくなったとしても、平和な未来を夢見て口ずさむに違いない。
カーラジオからスローバラード 夜霧が窓をつつんで 悪い予感のかけらもないさ