👗美学No.3《衣装の仕事》

By waltzblog No comments

衣装を創って、早30年以上になる。衣装を創るきっかけは、私が設立したファッションブランドの顧客に女優、歌手、ダンサーの方が多く、「公演があるから衣装をお願いしたい」ということからだった。

ファッションで洋服を創る場合は、ブランドが理想とする女性をイメージして服を創るのだが、実際には、どんな人が買って着てくれるかは分からない。衣装の場合は、着る人、シチュエーション(役柄や振付など)が決まっているし、演出家の意図もあるので、生地で形作るのは同じだが、デザイン制作する過程は、全く似て非なる物である。クリエイションの自由度はファッションの方が断然高い。が、自由に好きなものを創り、So Cool!!と、自画自賛してみたところで、それを買ってくれる人がいなければ対価は得られないし、着る人のいない服はただの布。衣装は、オファーがあった時点で予算があり、対価ありきでの服作りとなる訳で、多少の窮屈さは致し方がないが、制約のある中で何ができるか?!というチャレンジと創意工夫の楽しみがある。

私は洋裁学校に通ったことがない。なぜ洋服が創れるようになったのか?!最初は、もし社内でパタンナーが不足した場合、「私もパターンができたら便利」という軽い気持ち。型紙の模写から始まり、次に、私のブランドはボディにシーチングで形を創っていく立体裁断というやり方だったので、そのシーチングを平面(紙の型紙)にすることをやった。ブラウスからジャケット、コート、ワンピースまで、仕事は山のようにあった。昔々は学校もなく、服作りを覚えるにはテーラーに丁稚奉公だったんだから!と自分なりの納得をし、「見て覚えろ」精神。学校に通うより、プロの現場で20年!好きこそものの上手なれ!!の賜物。

最初はデザインだけの衣装仕事が、パターンも自らひくようになり、次には「私が縫えたら便利」とミシンを買い、晴れて、衣装デザイン制作の人となったのだ。これは、母が洋裁をやっていて、幼少時の私の服は母のお手製、ミシンを踏む姿をいつも見ていたということがあったからで、やはり「見ていた」功績は大きい。

写真のドレスは、2014年のワルツ公演のチラシ用に創ったもの。彫刻家カミーユ・クローデルをイメージして、私も彫刻を創るような気持ちでシーチングにピンワーク。どこも縫っていないので、撮影が終わってピンをはずすとバラバラな、ただの布と化した。誰も手を通さなかった幻のドレス。やはり、服は人が着て、動いて、命を宿す。

コメントを残す