🎥美学No.38《トーチソング・トリロジー》
トーチソングは「恋歌」。ハーヴェイ・ファイアスタイン原作・主演による舞台劇は、1983年トニー賞で演劇部門脚本賞と主演男優賞を受賞。1988年に映画化された本作では、脚色・主演。まさに、彼が「言いたいこと」を書き、自ら演じ、彼自身の生き様と美学、哲学がこの作品に詰め込まれている。
冒頭、楽屋で化粧をしながら独白する主人公アーノルドは、ゲイとしての自分を観ている者に語りかける。ファイアスタイン自身、演じるのが一番難しかったと語るこのシーンに、ぐっと心を掴まれる。
ニューヨークのバーで歌って踊る、女装のエンターティナー・アーノルドは、ウサギのグッズを集める心優しきゲイ。そんな彼をなかなか認めようとしない母との口喧嘩はいつものこと。恋人だったバイセクシャルのエドは女性と結婚。傷心の日々の中、ひたむきに彼にアプローチする青年アランが現れ、共に暮らし始める。本当の家族になるために、里親として孤児を育てようと計画をしていた矢先、アランはゲイを憎むホモフォビアの男達によって殺される。そして、養子となった少年デイヴィッドとの二人暮らしに、妻と離婚したエドがやって来る。
血の繋がりだけを家族と考えると、あまりにも寂しい。生まれたときには両親が、そして兄弟姉妹がいる場合もあるだろう。だが、肉親とも別れは来る。結婚しても、別れはある。子供が出来ても、別れはある。友人も一人また一人と亡くなっていくだろう。長く生きれば、その年月だけ大切な人を見送る数も増えていく。人生は人との出会いと別れの繰り返し、一喜一憂の日々を過ごすのが人生。
無償の愛を与え合うのが家族だとしたら、血の繋がりだけに非ず。愛する人の心を疑わない、自身の心持ち次第。生きるということは、一人では虚しい。眠くとも、辛くとも、誰かのために……じゃないと力は出ない。自分が誰かの役に立っている幸せは、自分を「よし!!」と思える、人としての本能のようなもの。
人は一人では生きていけない。この映画のアーノルドのように、マイノリティーであればあるほど家族を作ることは簡単ではない。誰かと繋がっている、大切な何かに属している安心感は、思わぬ勇気を生む。人生の最後は誰と繋がっているだろう。独白シーンのように、「私はね……」と、今自分を語るとしたら、どんな言葉なのか……見えない誰かに向かって演ってみたくなった。心から抱きしめられる思い出があれば、人はそんなに寂しくはない。