📖美学No.75《奇跡》

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岡本敏子 著

「生前華やかに人気を得ていた人物でも、死ねばたちまち世人の記憶から、かき消されていく……ところが岡本太郎だけは、突然、あの世から帰ってきた。まるでマジックのような目ざましく鮮やかな甦り……それには一人の仕掛人がいた。」瀬戸内寂聴は語る。その仕掛人こそが、画家・岡本太郎の秘書、事実上の妻、そして戸籍上は養女の岡本敏子だ。1926年生まれの彼女は、太郎とは15歳違い。親子ほど年が離れている訳でもない。なぜ、妻ではなく養女になったのか……その答えが本書にある。

『奇跡』は、77歳の敏子が「書きたくて書きたくて書いた」という小説のデビュー作。誰でも人生に一篇の小説は書ける……という言葉があるが、まさに、それだ。「肉体が滅んでも愛する人の存在は死なない」この作品に込めたテーマは、太郎が亡くなってから体験した心であろう。

主人公は、生け花の家元事務所で働いている21歳の久慈笙子。新進気鋭の建築家・羽田謙介と知り合い、奪われた形で肉体関係を持つ。勿論これは、敏子と岡本太郎のこと。「全て本当のことを書いた」という、二人の愛とエロスは赤裸々でなまめかしく官能的だ。

《あんなに熱く、激しい、襲う神そのものである男性。女の全存在を隅から隅まで充たしてくれる、引っかき廻して異次元にさらって行ってしまう。

《裸の女でいて貰いたい。情婦にしていたいんだ。純粋に、男と女として愛したい。君は僕の娘だ。僕によって育てられてるから。自由に天空を飛ぶんだよ。》

《眠っていらっしゃい。でも、私を抱いて行ってね。いつか裸で向いあって一体になったように、あのままの姿で、一緒に行くのよ。》

1996年、敏子70歳のときに太郎が亡くなると、未完の作品全てを製作・仕上げを監修し、アトリエ件自宅を改装して岡本太郎記念館の館長になり、インタビューや著書によって、太郎の再評価に努めた。太郎がメキシコで創作後、長年行方不明になっていた壁画『明日の神話』を捜索し、見つけたとき「こんなところにいたのね」と敏子は思わず言った。

《あんなに素敵な人がいたんだぞってことをもっともっとみんなに教えてあげたい。太郎さんのような人が本当に日本に生きていたってことは奇跡よ。》

岡本太郎の死後、そのエネルギーを受け継ぎ、仕事をすることで彼の意志に導かれて生きた敏子。愛する男の存在を「奇跡」と言い切れる絶対の幸福。永遠を手に入れた二人は、手をつなぎ、自由に天空を飛んでいることだろう。

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